【イケメン】沖田総司。病に倒れた天才剣士を5分でスッキリ解説。

こんにちは、歴史大好き、こっぷんか隊長です。

幕末に新選組として活躍した一番隊隊長沖田総司おきたそうじについて解説していきます。

沖田総司はアイドル並の人気を誇り、向かうところ敵なしと言われた剣術の超達人です。

本記事では沖田総司について、分かりやすく丁寧に解説していきます。

5分ほどで読めるので最後まで読んで下さると嬉しいです。m(_ _)m

剣術の天才

この画像が沖田総司です。

イケメンじゃない笑

沖田総司=イケメン

というイメージがあるので、自分もこの事実を知った時、少し衝撃が走りました。

沖田総司おきたそうじは4歳の時に父親の勝次郎がなくなって以降、姉のみつに面倒をみてもらっていました。

しかし口減らしのために10歳で試衛館しえいかんの内弟子となりこれが沖田にとって人生の転機となりました。

沖田総司おきたそうじは10代で免許皆伝めんきょかいでんと頭角をあらわし、天才剣士ぶりを発揮すると20歳のときには同じく剣術に土方歳三ひじかたとしぞうを退けて塾頭を務めるまでに成長します。

鬼の副長である土方にとって数少ない心許せる相手でもあり沖田の実力を十分に理解していました。

沖田の実力は「本気を出したら近藤勇こんどういさみでも勝てないだろう」と言われていたくらい確かなものでした。

近藤自身も「沖田こそ天然理心流てんねんりしんりゅうを継ぐ者」と5代目の座を沖田に譲る気があったようです。

もしかしたら近藤の養子となり試衛館を継いでいた未来もあったかもしれません。

得意技、三段突きの伝説。

沖田が得意としていたのは三段突き

踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に3発の突きを繰り出したという伝説があります。

(即ち目にも止まらぬ速さで、相手は一突きもらったと思った瞬間、既に三度突かれていた)

その剣術の腕前は、沖田と対戦すると誰もが子供同然に扱われる程でした。

子供っぽい一面

(上の画像は鬼の副長、土方歳三ひじかたとしぞう)

沖田の頭の中はつねに剣のコトで頭がいっぱいでどちらが強いかという話になるとすぐにムキになっていました。

また非番の日には近所の子供たちと鬼ごっこをして遊んでいたり子守をするなど優しい一面も持ち合わせていました。

新撰組一番隊の隊長

(上の画像は新撰組リーダー近藤勇)

間もなくして沖田は新撰組の一員として上洛します。

沖田はまだ20歳だったので尊皇そんのうや、佐幕さばくといった世の状勢にはあまり関心はありませんでした。

しかし剣がたつ事から近藤や土方からの信頼は厚く新撰組の一番隊の隊長を任されていました。

新撰組の主だった戦いにはつねに沖田の剣がありました。

新撰組の名は、至るところに知れ渡り、総司の人気はアイドル並だったとも伝わっています。

また剣の実力だけでなく、任務遂行も忠実で芹沢鴨暗殺の際には、最初の一太刀を振るい暗殺の役割を全うしています。

そして、兄のように慕っていた山南 敬助やまなみけいすけが脱走し、その処罰をする際にも、これまでの親しみがまるでなかったように淡々と介錯かいしゃく(即死させること)しました。

池田屋事件

新撰組が一躍全国に名を轟かせたのは池田屋事件いけだやじけんです。

MEMO
龍馬が暗殺された「寺田屋事件てらだやじけん」とは違うので注意してください。

※池田屋事件とは、旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、警察的な立ち位置である新選組が襲撃した事件。

「池田屋事件」では20数名の敵に対し新撰組は4名と数的に不利な状況でありながら近藤と共に沖田は斬りこみに参加しています。

2時間におよぶ乱戦の中で、沖田は愛刀・加賀清光かしゅうきよみつを振りかざして戦いました。

しかしその頃、沖田の体は結核をわずらっていて途中で昏倒こんとうしてしまいます。

もしかしたら吐血もあったかもしれせせん。

この時の症状はまだ軽く戦いにも生き延び直後の出勤には名を連ねています。

結核という不治の病

だが当時、不治の病とされた結核は確実に沖田の体をむしばんでいきました。

やがて戦線を離脱せざるを得なくなるほどに症状は重くなり「鳥羽伏見の戦いとばふしみのたたかい」の時には沖田は、寝たきりの状態だったと言われています。

新撰組の支援者である松本良順の治療を受けましたがもはや治る見込みはありませんでした。

25歳の若き剣士は遠き地で戦う仲間の身を案じながらひっそりと息をひきとりました。

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